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ポール・ヘニングセンに会った話
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    突然思い出したのでメモ。

    今からかれこれ15年も前になるが、デンマークで2年ほど学生として暮らしていたことがある。
    その時にポール・ヘニングセン(1894〜1967・略してPH)と会ったことがある。ロングセラーの照明器具「PHランプ」のデザインで有名なデンマークの文化人だ。

    場所は、コペンハーゲン大学医学部のPanum Institute。解剖学の標本室。

    当時、同じ学生寮に住んでいた医学部の学生が、私がデザインの勉強をしているからといって、関係者以外立ち入り禁止の部屋に連れて行ってくれた。
    特別なIDカードでロックされた部屋に入った瞬間、目に飛び込んでくるのは、ガラス瓶の液体に保存された、あらゆる人体の部位だ。
    基本的には学生が勉強するための標本であるから、きわめて学術的な施設である。

    足を踏み入れた瞬間こそ「うわぁ…」と抵抗を感じたが、徐々に慣れてくると人間のからだを構成する様々な器官の造形の美しさに目を奪われる。
    生い茂る樹木の枝のような、染色された毛細血管や、奇妙な造形美の肺の標本など。

    標本コレクションそのものにも感心したが、もっと私をうならせたのは、その展示の仕方とコレクションを収めた什器だ。
    いかにも北欧インテリア的な、やわらかく光の回るゆったりとした空間。
    分類された標本のタイトル表示の美しさ。
    4本脚の白木のガラス張りキャビネットは、研究用というにはあまりにも端正な飾り棚のよう。おまけに、キャビネットの真ん中あたりには薄い天板が内蔵されていて、引き出すと小さな机のような台になる。学生はスツールをそこに寄せて、ガラスの中の標本についてのメモを一心不乱に取っている。
    美しく、機能的だ。

    こんな閉じた、学術的な施設においてもこの洗練。これぞデンマークデザインの神髄だ、と思った。

    ぼんやりと生温かな雰囲気の室内を無心でふらふらしていると、
    友人が言った。
    「ポール・ヘニングセンに会ってみたい?」

    言っている意味がよくわからない。言われるままについて行くと、そこにはひときわ大きなガラス瓶があった。
    その中に、裸の男性の上半身があった。頭の半分が断面になっていたような気がするが、記憶が定かではない。
    たっぷりとした大柄な印象の、やや顔の肉付きのいい初老の男性は、目を閉じて液体の中にいた。
    「ポール・ヘニングセンは献体したんだよ」

    まさに生々しい肉体の標本が目の前、数十センチのところにある。
    でも気持ち悪さは微塵も感じられなかった。
    むしろ、過去の偉人と間近に向き合っている、という事実にも、自分の体をこうやって未来にまで晒しながらここにいる、というPHの気前のよさとイノベーターぶりにも感動した。

    それに、ふやけて生気を失っているとはいえ、彼の表情には、
    「やぁ、ヘニングセンさん、こんにちは」と、挨拶でもしたくなるような、どこか大らかさと陽気さをたたえているように感じた。(それは私の思い込みかもしれないけれど。)

    不思議な空間での不思議な邂逅に胸いっぱいになった私は、友人に感謝を述べその部屋を立ち去った。以来、今でもポール・ヘニングセンを思うとき心に蘇るのはあの時の、あの部屋ことだ。
    「あの人」、あの液体の中のおじさん。



    しかし時間が経つ毎に、果たしてあれは本当だったのだろうか?本当にPHだったのだろうか?
    私、話を美化してない?と記憶はあやふやに。
    なんせ、今までPHの献体の話は誰からも聞いたことがないし、日本で誰に話してもあんまり感動してもらえない。(ものすごくレアなデンマーク体験なのに!)

    …と、さっき試しにググってみたら、
    あ、あったー。
    デンマーク版のwikipediaにちらっと書いてあった。
    PHはパーキンソン病を患っていたらしく、死後Panum Instituteに遺体を寄付したとある。

    じゃ、やっぱりあのおじさんはPHだったんだ!
    なんともいえない感慨ひとしお。

    一生のうちであの部屋にまた足を踏み入れることは絶対にないと思うけど、心は時々あの不思議な心地よさの空間をさまよって、おじさんに挨拶している。

    そういったわけで、一期一会のポール・ヘニングセンは、私の中で「永遠になんだか懐かしい人」になってしまったのだった。

    | chiori66 | 02:09 | comments(7) | trackbacks(0) | - | - |
    Comment
    いやぁなんだかスゲー話というか、まんまドキュメント番組。
    相変わらず読ませますなぁ〜。

    気になったのは、ヘニングセンをデザイナーではなく「文化人」としているところ。僕の認識はPHランプその他の照明デザイナーでしかないので(あ、インテリアもやってたっけ)

    献体するって、スゴイことだよね。
    自身の病を思って、すこしでも人々に役に立つのであれば、との思いだったんだろうか。照明同様、優しさにあふれている。
    ヘニングセンに今までにない興味がわきました。
    Posted by: ウチヤマアキラ |at: 2009/05/20 1:35 PM
    昔、医学部に進んだ友人が、検体された身体の奪い合いをしてるような話しをして、人間何にでも慣れるのだと感心したが、ここまでのヒューマンな感想ではなかったような記憶があります。

    いい話だなぁ・・。
    特殊だけど(笑)
    Posted by: k-suke |at: 2009/05/20 10:06 PM
    ヘニングセンの最大の功績、というか一般的な肩書きは「照明デザイナー」だと思うんですが、
    実際、建築を設計したり、評論や新聞に執筆したり、作曲もやったらしいし、社会的&文化的な活動も沢山やっていたんですよね。
    デンマークでも国民的にリスペクトされている人の一人だと思います。

    なので「デザイナー」って書くべきか迷いつつ…。「文化人」って変な言い方ですよね(笑)。>アキラさん

    ちょっと特殊ですよね。これを知ってる日本人はあんまりいないんじゃないかなー?
    それに実際に医療の現場に関わっている人は、こんなおセンチなこと考えないと思うなぁ…。>k-sukeさん


    Posted by: c-ito |at: 2009/05/20 11:53 PM
    心理学科で脳みその勉強をしていたときにホルマリン漬けのヒトの脳(8分割)を持ったことがあります。ヒトの臓器を持つというのはなんとも複雑です。今でもなんとなくその時の感触が手のひらに残っています。
    Posted by: ☆椅子 |at: 2009/05/21 9:27 PM
    ☆椅子さん
    そうなんですか!脳の重さや感触なんて、考えてみたら体験する機会なんて一般人にはないですよねぇ。
    単純にモノじゃないし。物理的な重み以外の重みがありますね。

    よく思いだしてみたら、PHはまっぷたつだったような気がしてきました…。

    Posted by: c-ito |at: 2009/05/30 3:39 AM
    うっ、気持ち悪かった。

    ヘニングセンが解剖学的にデザインしていたなんて話になると思ったら
    そのまんまだった。
    Posted by: 202 |at: 2009/08/09 1:18 PM
    202さん

    失礼しました!以後気をつけます。
    Posted by: c-ito |at: 2009/08/18 1:19 AM








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