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Simplifying
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    今、デザインを簡略化する作業をしている。

    実は今デザインしているもの自体、かなり削りようがないくらいシンプルな提案なのだが、
    そこからさらにもっと削らなければならない。なかなかの難問である。

    物理的に削ること、それは簡単だ。とりあえず機能だけを残して、取っ払ってしまう。
    形態が機能に従った状態。それはそれで、モダンであり、難易度の高い、正しく美しい回答だ。

    でもそれだけじゃダメなのだ。「演歌歌手は唄が上手い」というのが当たり前なのと一緒で、それだけじゃ、全然足りない。
    "Less Is More" という有名なことばがあるけれど、問題はLessの質。
    存在そのものの意味や、必然性や、たたずまいや(その他もろもろ)、物理的な要素以外に削るべき部分がある。
    1つのデザインに、言いたいことは1つで十分だ。"More of Less"!なのだ。(←インチキ文法)

    唐突な結論になるけれども、
    結局Lessした先に現れる/現れて欲しいものは、私の場合、「詩」なんだと思う。
    機能性なんかでは、全然ない。

    自分にとって削っていく作業は、デザインから手わざをなくす作業であり、匂いを消すことであり、限り無く目の前のモノに存在の同化して、限り無く自我を消滅させる作業だ。
    出来上がるべきものは極めてパブリックなものなのに、行為とプロセス自体は極めてパーソナルである。
    (でもこのデザイン手法は自虐的すぎちゃって、全然ハッピー感がないかも。)

    無くして行く作業の果ての、もうこれ以上は削れませんという先に、突然に別の輝きが生まれる。蒸留と結晶化のような。

    アールひとつに、寸法ひとつに、ぴたっと吸い付けられてフォーカスの合うような答えがあらかじめ用意されている。その輝く答えに出会う瞬間まで、アーとかウーとか言いながら試行錯誤を繰り返すのである。
    そうじゃない中途半端な答は、マジで「臭う」。

    (ぴたっと合うと…これがまた、えも言われぬ快感だったりする。脳内に花満開。)

    結晶化された正しい答えというのは、仮に超過激にアヴァンギャルドなものであったとしても、不思議とどこか昔からそこにあるような懐かしさとほっとするような安定感を纏っているものだ。
    そしてその結晶は、詩に似ている。

    私が家具や小さなもののデザインに惹かれるのはそこだ。
    建築が「小説」か「交響楽」みたいなものだとしたら、家具(と言うか特に椅子)はまさしく「詩」。
    最小限のパーツと構造で成立ち、すべてコントロールできる意図と意味の厳密さをもった小品であり。そして佇まいは美しくなければならず、単純でありながら無限にイマジネーションを掻き立てられること(たとえば俳句のように)。
    生み出すの難儀でも、出来上がった詩片は鼻唄のように軽くあってほしい。


    …とかなんとか言ってもそれはあくまで理想論であって、実際そこまでに出来上がることはごくごく稀。
    なまけものの天秤座気質ゆえ、いつも怠惰が(あるいは時間的リミットが)ストイシズムを軽〜く凌駕しちゃうので。

    ものすごくクサいことを書いているような気もするけど、まぁ気合い入れ用の覚え書きということであしからず。
    さぁ、宿題を片付けます。(※←逃避中)
    | chiori66 | 18:35 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
    Comment
    ディティールという言葉・・・日頃何となく口にする度に「審美眼」の大切さを感じます。
    大雑把な性格の私に使いこなせているとは言えない言葉なのですが、シンプルな物ほど削る作業に全力を注ぐデザイナーさんの力をあらゆる所で目の当たりにしたとき、また、それを発見したときの感動と喜びを大きく感じます。
    削りと盛り付け・・・相反する言葉ではありますが、どちらも作り手さんの細やかさを感じます。
    だから、見てていつまでも飽きないんですね。
    Posted by: ote |at: 2007/07/07 9:24 AM
    シンプルにするというのは、ものの本質やバランスや時にはアラがはっきりと見えてしまうから難しいんですよね。怖いですよ。
    でも削れば削るほど普遍性が研ぎ出されていくように思います。
    だからシンプル化していくというのは、いわば時を止める作業なんです(ポエティックに言えば)。

    逆も同じで、長い時間かけて作られたものは、時間の中で洗練されて削られてシンプルなかたちだけが残ってますよね。
    たとえば、竹ざる。へら。大工道具とか。
    ああいうアノニマスなものにものすごく惹かれます。究極アレです。
    見てていつまでも飽きないですよね。

    Posted by: chiori-ito |at: 2007/07/12 1:01 AM
    私自身は機能主義者寄り過ぎるきらいがあるのですが、だからこそその先にあるかもしれない柔らかいもの(あるいは毛深いもの)に興味があったりします。まだ近寄れないでいますが。
    Posted by: ☆椅子 |at: 2007/07/24 12:14 AM
    ☆椅子さん、ようこそ!
    私も基本的に機能主義礼賛なんですよね。でも気づくと全然機能じゃないところに着地してしまっていることもしばしばです。というか、いつもです!

    毛深きもの=気高きもの
    って言っちゃうと単なることば遊びになっちゃうでしょーか(笑)
    Posted by: chiori-ito |at: 2007/07/24 2:04 AM
    洋服のデザインをする人で、(削る作業という)同じことをいう人をテレビでみたことがあります。そのときもなるほどと思いましたが、椅子が詩だというのは何かとても嬉しい発言です。
    遠い以前、中也のことを書いたときレスを頂いたのを思い出しました。個人的には朔太郎のような椅子にめぐり会いたいです。
    Posted by: k-suke |at: 2007/08/05 12:51 AM
    k-sukeさん、コメント遅くなりまして!
    詩なんですよー、椅子は。
    それに対して、棚とかキャビネットとかいわゆる「ハコモノ」と言われる収納家具は、生活密着のためかなかなか詩を感じられないんですよね。
    倉俣史朗さんの70年頃の箱には詩を感じますね。↓この頃の。

    http://www.moma.org/collection/browse_results.php?criteria=O%3AAD%3AE%3A7210&page_number=1&template_id=1&sort_order=1
    Posted by: c-ito |at: 2007/08/21 4:05 AM








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